父はアルコール依存症でした。
私が子供の頃はメンタルヘルス的なアプローチがなかった時代で、単なる酒好き、アル中などと呼ばれていた頃。
病気と捉えられてなかったためか、そんな人が今より多かったような印象です。

お金があると、すぐ酒を買ってしまいます。家族に暴力をふるうようなことはなかったのですが家の中は険悪でした。
母が貯金通帳を出して「300万円あるから出てってよ」と言ってるのも見たことがあります。
遅かれ早かれ離婚するのだろうなと思っていました。

母はどうしたか。
父と同じ職場で働き、父のそばで全面サポートし始めたのです。社宅に住んでいたため、そこまで不自然なことではありませんでしたが、それでも私は驚いた。
「もうコイツだめだ」と投げ出すのではなく、支えてあげて生かすことを選んだのです。

父は母と24時間一緒なので、お金を持たなくていいわけです。家族中でお金を放置しないようにして、父には100円たりとも持たせないように気を付けていました。
それでもたまにこっそり飲んで見つかって大喧嘩することはありました。
絶対にばれる。隠れて飲むくせに「やーい、飲んでやったぞ」という勝利宣言もする男ゴコロ。

母が自分を犠牲にしたというと大げさかもしれないが、離婚したら父はすぐに潰れて死んだだろうし、母は子供を2人かかえて苦労することになる。
お金が無いから離婚しなかったのも真実だろうし、別に仲が良い夫婦ではなかったけど、父がどうしようもない人間ではなかったのも真実だと思います。

父は何度かアルコール中毒発作のようなものを起こしたので、アルコール依存症がどのように進行していくかは何となくわかります。
血中にアルコールが切れない状態が数日間続くと、アルコールが切れたときにもだえ苦しむのです。その発作を抑えるためにアルコールを飲む。その繰り返しです。
夜中にのたうちまわって苦しんでいる父を見て、母に「病院行った方がいいんじゃない?」と言うと、「大丈夫だから放っといて」とケロッとしていました。
父の事を知り抜いていたんだと思います。

幼なじみのお父さんがアルコール依存症で、ほとんど起き上がれないような状態になっているという話を母からよく聞いていました。高校生の時にその方が亡くなり、「うちのお父さんも同じ。私が面倒をみなかったらああなるからね」と言っていました。

姉が結婚して私が成人し、母は父と一緒に会社に行って働き、二人で帰ってくる。これが本当の二人三脚で、どれだけ仲がいいんだって感じだけど、ろくに話もしていなかった。
いまだに母は「私、お父さんとちゃんと話したこと1回もないんだよね」と言います。このニュアンスが伝わるかどうか自信がないけど、人と語り合い、分かり合うような人ではなかった。
それでも3人でまじめに黙々と働き、地味に暮らしていたけどみんな健康で楽しく、少しだけどお金もたまり、親子ローンで分譲マンションを購入。一家の黄金時代を迎えました。
その家は今ゴミ屋敷だけどね。

母は家族を守ったのです。
そういう母に育てられたので、私も姉を放り出すようなことはしないんじゃないかと思います。